管理人Yのアパレル業界時代のお話【第3話】~店長時代その2

楽しい日々は続かないもの

前回の衝撃のクレーマー転じてストーカー事件に萎えた管理人でしたが、2店舗目での店長としての仕事は、なかなか楽しいものでした。

最初のお店と比べて広さもスタッフ数も3分の1程度の規模だったのに加え、2店舗目ということで多少マネジメントのスキルもついてきており、ある程度の余裕を持って仕事をすることができました、通勤に3時間以上かかる点を除いては・・・。

また、最初のお店は全国的にも注目の的の大型店であったため、マネージャーや本社スタッフの巡回頻度も高く、プレッシャーの高いお店だったのに加え、2店舗目は首都圏では僻地に位置しておりいわゆる放置状態のお店でした。

なので、自分の拙い店運営技術でも、一生懸命やれば目に見えて売上が上がっていくのもモチベーションにつながりました。

しかし、そのような充実の日々は、たったの4カ月で終わりを告げます。

そのお店である程度の成果を出したことが認められ、新規オープンの店舗の店長として選ばれることになったのです。

ちなみにたったの4カ月でも、通勤の苦しさも込みで気力・体力を出し切って運営したお店だったため、思い入れもひとしおで最後の日の終礼では自分もスタッフも大泣きでありました。

仕事をしていて泣いたのはこのときが初めてだったので、自分で自分に驚きましたが、「やり切るってこういうことか・・・!」と仕事のやりがいのようなものに開眼した瞬間でもありました。

持ってない男全開の新規オープン

管理人にとって店長としては3店舗目となる新規オープンのお店は、2店舗と同じく神奈川のお店。

実はこのときは、新規オープンしてしばらくしたら、3店舗をみるマネージャーへの昇進させるとのの内示が出ており、その兼ね合いもあり、東京から神奈川へ引っ越すこととなりました。

また、東京採用だった管理人は、会社命令の異動のため、住居手当てが付く事にもなり実質的な手取り給料のアップもとっても嬉しかった記憶があります。

さて、肝心の新規オープンの方は数字的には大失敗に終わりました。

当時イケイケだったそのブランドでは、新規オープンであれば少なくとも初日は3~400万円の売り上げを上げていました。

立地的に微妙なお店ではあったので、控えめに250万の初日予算で勘弁してもらったものの、フタを空けるとまさかの150万で終了。

見事にそのブランドのオープン初日売上最低記録をたたき出したのでありました。

今にして思えば、明らかな出店戦略ミスだったのですが(実際、そのお店はオープン後わずか1年半で撤退しました。)、もちろん当時は「運の無い男」のレッテルとともに、さんざん叩かれたものです。

短くとも中身の濃かった店長時代

このようにオープンそのものは大失敗でしたが、その後の運営はさすがに3店舗目ということもあり、中々にうまく行き、当初の予定通りオープンから半年後に、3店舗をまかせられるマネージャーへと昇進したのでした。

結果的に管理人の店長時代は、1店舗目→7カ月、2店舗目→4カ月、3店舗目→6カ月と約1年半で終わりを告げました。

キャリア全体からみれば短い期間ではありますが、本社に近い旗艦店的な店舗、僻地で放置されていた店舗、新規オープン店とバラエティに富んだお店での経験だったこともあり、その後10年以上携わった、マネージャー、スーパーバイザー的な仕事の全て基礎は店長時代の経験にありました。

そのくらい店長の仕事は密度が濃く、経験値を上げられた仕事でした。

比較的若いうちにその経験ができることは、アパレル業界の魅力のひとつだな~と、アパレルから離れた今、改めて思う管理人でありました。

第4話へ続く

管理人Yのアパレル業界時代のお話【第4話】~マネージャー・スーパーバイザー時代その1
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